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2007年02月23日

ワークスの前のお堀には

今たくさんの渡り鳥が集っています。マガモとユリカモメです。
今日もあたたかい陽気で、お昼休みは堀端でお弁当をひろげる光景があちこちに・・・
あれっ!カモメが集まって騒いでいると思ったら、OLさんが二人でパンくずを投げていました。
さっそくOLさんのそばに寄ってパシャリ。
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近くには鳩やカラスも寄っていましたが、こんなに陽気にパンくずに飛びつくのはユリカモメだけ。旋回しながら空中停止したり、着地後にジャンプしたりして、お姉さんのパンが無くなるまで騒いでいました。

2007年02月19日

いちばんおいしいチャンポン

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今長崎は「ランタンフェスティバル」。中華街の「新地」の路地一杯が色とりどりのランタン(中国風の提灯)で埋め尽くされているそうです。
村長も今年こそカメラ片手にフェスティバルを見物しようと思っていますが、長崎の飲み屋街「銅座」の路地も空中に看板が溢れていて素敵な通りです。きっといろんな町にもこんな界隈が存在するのでしょう。でも銅座の密度感はなかなかです。こんな路地からさらに枝分かれして巾1メートルもない路地の先にいろんなお店があります。車が無い時代、坂本竜馬たちが飲み歩いた街の構造が残っているような気がして、わくわくします。
ところで、長崎出身の村長としては他所でおいしいチャンポンと皿うどんに出会ったことがありません。「長崎ちゃんぽん」と銘打った店に入っても、あの長崎の甘くて旨くてなおかつ安いチャンポンはどこにもないのです。長崎ならどこで食べてもまず外れることはありません。「新地」の中華街(例えば江山楼)でも十分うまいチャンポンは食べれます。でも、もし長崎まで足をのばしたら、ぜひ寄ってほしいお店を紹介します。

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字が難しいけど「カンロ」と読みます。銅座の通りに面してあります。

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こちらは長崎にあるのに「よこはま」です。「カンロ」の数件隣にあります。
どちらの店も2階に座敷がありますが、1階はホントに普通の食堂みたいな感じです。

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チャンポンと皿うどんは800円。そぼろチャンポンとか特性皿うどんは具にホタテや牡蠣が入って1200円ぐらい。この2軒の味は甲乙つけがたくどちらもおいしいです。うまいチャンポンや皿うどんがあるから、長崎の料理屋は総じて値段が安いのだと思います。江戸の時代から出島の貿易のおかげで潤っていた長崎は庶民も砂糖を贅沢に使って、甘い味に慣れてしまったという人もいます。
料理の味も人それぞれの好みがあるので、本当はただ単に私の好き嫌いかもしれません。でも、ぜひ、一度長崎の甘くてうまいチャンポンと皿うどんを食べてみてください。皿うどんなら村長は細面のバリバリが好きです。
ちなみにチャンポンと皿うどんは中華料理ではなく、長崎発祥の創作料理だそうです。

2007年02月13日

有明海のエビスさん

春のような陽気で雲ひとつない週末、佐賀に蟹と牡蠣を食べにいきました。
来週から東京の会社にトラバーユする友人と、来春から東京転勤予定の友人と三人です。一緒に行かない家内と子供たちに後ろ髪を思いっきり引っ張られながら家を出たのです。

武雄北方ICで高速を降り肥前鹿島を通って左手に有明海の浅海を眺めながら、長崎との県境の竹崎の「鶴荘」を目指します。
鹿島のGSのおじいさんの「竹崎蟹ば喰うならどこでも大して変わらんけど、、「竜宮」は北島三郎が来たとかゆうて有名かけど・・・・うーん、鶴荘がよか!わしらも時々行きよったけん。あそこならよか。ずーっと行って左に行けばよかけん。」という言葉を頼りに、ずーっと三人で左を見ながら、途中ロードサイドの「牡蠣焼」「竹崎蟹あります」の看板を尻目に走っていきました。左に分かれ道があるたびに左折して三度も行き止まりに遭遇しながら(・e・)、竹崎城址そばの港に面した旅館「鶴荘」にたどり着きました。

冬の港を見下ろす小さな部屋でワタリ蟹と牡蠣を満喫したのでした。
東京の若い友人は「この蟹は身がしっかりして、味が濃いっすねー。タラバやマツバより旨いわ!」と大満足。黙々と蟹を食べ終わって友人を見ると、かにの殻にカキ色のたまごを残している。「たまご好かんと?」と聞くと彼はニヤリと笑って仲居さんを呼び日本酒を注文して、蟹の肉とたまごの入った殻に酒を入れてうまそに一人で飲んだのでした。「あーあ!運転手は飲まれんもんね。」
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腹いっぱいの三人は潮風を浴びて波止先の釣り人をからかいながら、見つけたのがこの派手なお土産つきの石の恵比寿さん。冬の日差しを浴びて笑っていました。また陽気な気分になりました。

2007年02月08日

ラムネ温泉

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大分県直入町長湯「ラムネ温泉」

九州横断道を由布院で降りて、40分ほど南に走ると世界でも有数の炭酸泉「長湯温泉」がある。
去年はここにはまっていました。

長湯には多くの源泉があって、大きく分けると「ドロ湯」と「ラムネ湯」の2種類。
この「ラムネ湯」が村長の体質にぴったりでした。湯温は32℃。湯に浸かるとヒヤッとする。でも5~6分もするとなんだかポカポカしてくる。そして体中に炭酸の泡がびっしり!なんだかもったいないような気がして、泡が消えないようにじっとしていると手も足もおなかも真っ白になる。浮力がついたような気がして、浴槽の縁に頭をあずけて、手足を伸ばすと、心も伸びてきて、いつの間にか眠ってしまうのです。すぐに30~40分が経ってしまいます。指の皮がふやけて弛緩してしまった体と心を、室内の42℃の「ドロ湯」でシャキッとさせて、また32℃の泡に浸かります。ね!すぐ2時間近く経ってしまいます。村長が家内に負けず劣らず初めて長湯したのがここでした。長湯のネーミングの由来はこういうことかも。(本当は違うらしい。)

「ラムネ湯」は一般名詞ですが、長湯の老舗大丸旅館が古い施設を更新して、施設「ラムネ温泉」をつくりました。建築家は藤森照信。杉板とシックイのゼブラや屋根の頂の松ノ木や複雑な屋根の形が実に奇をてらった建物で山村の中で目立っています。藤森さんは建築歴史家で、いわゆるデザイナーとは異なる言語で建築を考え実現する人のようです。福岡の浄水通りにも屋根の上に松ノ木が生えた住宅がありますよね。ワークスの小葉紅ちゃんも藤森照信の大ファンです。

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写真はラムネの露天風呂の盗撮ですが、ビニールハウスのようなフレームは後工事だそうです。ラムネの湯は炭酸を多く含んでいて、ポンプアップすることができません。それで湧出点から流し落とせるような低い位置に露天風呂がつくってあります。だから畑の中にはまり込んだような形で湯に浸かります。なかなか不思議な感覚です。

長湯には象設計集団が設計した温泉もあります。こちらは藤森作品と違って地元の人に好評のようです。脱衣場が狭かったり、入り口が低くて頭を打ったり、洗い場や女性の化粧スペースが無かったり、何かと使いにくいのですが、村長お薦めは藤森作の「ラムネ温泉」です。

ぜひ長湯してください。

また、近所の「七里田温泉」にさらに炭酸濃度の濃い「下ん湯」があります。湯船の水面から炭酸の泡がパチパチはじけるのがわかります。ここはなかなかの秘湯ですが一般にはお薦めじゃないかも?
こう言うと、探していきたくなるでしょ。村長も見つけるのに苦労しました。

2007年02月07日

祖父

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2月4日は私の祖父の25回忌で上五島に渡りました。

庭には母が大事に育てていた何種類もの椿の花が暖かな冬の日差しの中で輝いていました。

働き者の祖父は93歳で亡くなりました。

日露戦争に出兵し台湾で働いて、敗戦で上五島に引き上げてきた時はまだ40歳代、父は二十歳でした。
離島の農家に生まれ,新天地の運輸会社で丁稚奉公から重役になるまでの前半生と,郷里に戻り農業しながら島に暮らした後半生でした。
わずかな水田と点在する畑と急斜面の山といくつかの家屋と、都会で暮らす子供達や、半農半漁の島民の暮らしを気にしながら、いつも体を動かしている人でした。

描いてくれる絵は水平線にタケノコ島とホカケ舟。

早くに連添いをなくした人でした。
信心は無かったけど、戦争で亡くした長男を祀る護国神社に毎年参っていました。
孫たちを厳しくかわいがってくれた人でした。

舞が総領の曾孫でした。

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ところで、五島にあるほとんどの教会が大工鉄川与助の手になるものです。
鉄川は日本伝統の大工技術を駆使して、本来石造の意匠であるカトリックの教会を次々と実現していった類まれなる建築家です。
材料や工法の研究に、当時、五島から東京帝国大学まで足を運んでいたようです。
鉄川は私の祖父と同郷で仏教徒です。
彼が建築した教会を含む「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が 文化庁の世界遺産の暫定リストに載りました。

鉄川与助の孫娘は私の中学の同級生です。
魅力的だった(今もきっと魅力的なのだろう)彼女が描いている「おじいちゃんが立てた教会」を紹介します。
http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/

2007年02月03日

番外 素敵な公共建築

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星の温泉館きらら

おまけです。
「茶の文化館」を設計した首藤泰比呂の手になる「星の温泉館きらら」はいい温泉です。

この写真は浴室の内部の様子ですが、何か普通じゃないのががわかりますか?

温泉の湯船の向こうのハメ殺しの大きなガラス窓が水滴で曇っていない!
だから温泉に浸かって外の森の景色と谷の見晴らしが存分に楽しめる。いい感じです。
実は大きなガラスの下には30mmほどの隙間があってそこから吸い込まれた外気が、湯船から溢れる温泉の熱でガラス沿いに上昇し、ガラスに湯煙が結露するのを防いでいるのです。丁寧な仕事です。

このガラスの外に露天風呂がある。木々に囲まれた「もりの湯」と谷を見下ろす「みはらしの湯」。
この露天風呂も湯船に浸かった人の視線の高さと方向をじゅうぶんに計算してある。頭を乗せ掛けて脱力できるような湯船の縁の石組みがうまくいってれば最高。
湯上りにはゆったりとしたタタミの休息室があり、掃きだしの窓から森の景色を眺めたり田舎料理をつまんだりしながらうたた寝が出来ます。

温泉は泉質が人それぞれに相性があるので一概に言えないけど、施設としていちばんリラックスできる温泉建築はこの「星の温泉館きらら」どす。
ああ、村長も温泉の設計がしたいなあ。

続続 いちばん素敵な公共建築

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星野村茶の文化館/レストランのランチ

茶の文化館茶の入場料は500円。ホールでおいしいお茶とお菓子がいただけます。(ホントにうまいよ!) ホールの奥のレストランで食事する時は入場料がかかりません。素敵なオペレーション。

今度、久しぶりに寄ってみたらメニューが変わっていて、すごくヘルシーなランチをいただきました。
写真は「利休セット」。800円。他に茶そばセットとか体によさそな軽い料理ばかりです。そしてやっぱりここでのお茶もおいしいのです。眼下に谷の村の風景を眺めながら、ごちそうさまでした。

茶の文化館の2階にある茶室は広間も小間も本格的なもので、お茶をする方たちにとてもよろこばれている名建築です。

続・いちばん素敵な公共建築

星野村茶の文化館/ホール
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ホールの床には瓦が敷き詰めてあって、天井にはスノコのように木の角材が張られて緩やかにうねっている。間をコンクリートで持ち上げられた木の柱が林立している。
ここで4人のミニコンサートを開いた演奏家が「この小さなホールは音の響きが気持ちよくて、また来たいなあって思っちゃうんです。」
星がきれいに見れるように、街灯が消してある村の暗い小さなホールで、クリスマスに聞いたクラシックはいつまでも心に残りました。

いちばん素敵な公共建築

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星野村茶の文化館

星野村の今の村長さんが村役場の課長さんだった頃、「電話線は心ば運んでこんけん。やっぱし、会って話さんと伝わらんね。」
設計打ち合わせで村に何度も訪れるうちに、設計集団櫂の古賀士平は「星野は品格のある村やね。」

私が知る数ある公共建築の中で、今でもいちばん気持ちがよいのはこの「星野村茶の文化館」です。

建築家は茶道にも詳しい首藤泰比呂。茶畑の朝霧や、棚田や、杉木立をイメージした建物は十分に清々しいのですが、圧巻は外構と植栽です。杉木立の森を切り開いて、敷地全体が建物と一体になっています。あたかももともとそうであったかのように・・・。
アプローチの小路の樹々、茶室の庭、ホールの内庭、そして建物の土台となる大きな熊笹の斜面。建物の基部は星野川に露出している青石を積み、胴部は杉板張り、屋根は金属板で大きく緩やかにたなびいている。

「天拝山の渓谷を登るとあたり一面いたるところに建築や植栽のデザインソースがあるよ。」元ワンダーフォーゲル部の首藤さんは言っていた。


公共建築に限らずいつまでも心地よい建築は地域を愛する人々と、建物を使う人々と、建築をする人々との出会いの中ではじめて可能になると感じます。