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2008年07月08日

しゃくなげ

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星野村から峠を通って浮羽に抜ける道沿いに、広内・上原地区の有名な棚田がある。

棚田を見下ろす好位置に小さな展望所と直売所ができていて、昔の美人(おふたりの自称)が笑顔で迎えてくれた。

つい先週この棚田の田植えがあって、それはそれは大変な賑わいだったそうな。
棚田が田植えの人で溢れている風景も壮観だったでしょう。
惜しいことをしました。

昨晩、親父は昔来た星野村で大きなしゃくなげを見つけて、お袋と茶店で茶を飲んだ話を懐かしそうにしていた。
それから何度か星野を訪れて、その大きなしゃくなげを探したけれど、場所を思い出せなくて、ずっと悔しい思いをしていたって。
長崎市から五島に引っ込んでからはもう星野に来ることはなくなったけれど、お袋と一緒に見たあの大きなしゃくなげを忘れられないと。
朝、池の山荘のフロントで、しゃくなげ園の場所を聞いた。上流に5キロほど登ったところの道沿いに、しゃくなげ園はあるけど、もう花はないですしね・・・といわれた。

しかたない、茶の文化館開園までの時間を棚田見物でもしようと、耳納山越えのこちら側に来てみた。

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棚田を過ぎてすぐ、助手席の親父が「おっ!おっ!」と声を上げた。

棚田のすぐそばの道沿いに、その大きなしゃくなげはあった。

もちろん花は終っているが、道路にこんもりとせり出している。

そばに清水が湧き出している。

しゃくなげの向かいには小さなお茶屋がある。

団子とお茶をご馳走になりながら、また親父はお袋との昔なつかしい話を、孫たちに聞かせている。

来年はひとりでプリウスを転がして、このしゃくなげに会いに来るという。

あたかもお袋に会えたかのように、84歳になる親父は嬉々としていた。

2008年06月10日

Maison Kammerzell

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特徴的なサインのロゴ。
有機的なアイアンワークの支持金物。
外壁仕上見切りの凝った断面。
急勾配屋根に重なり連なる屋根窓。

詳細の至るところにエネルギーが込められている。


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ストラスの都心でも歴史的な由緒ある建物を使ったレストランです。

アンチックな照明器具がついた漆喰の壁には絵が描かれ、
壜の底のようなガラスを通り抜けた昼の光がピンクの壁に揺らめいている。

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光の千変万化。

工業化とモダンデザインの中で見失われた何かがキラキラしていた。


2008年04月19日

おみやげ

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村長はストラスブールの大聖堂横の帽子屋さんで、お気に入りの帽子を買いました。
(なぜか、MADE IN SRILANKAでした。)
家内はフランクフルトのエコロジカルなショップででお気に入りのグラスを買いました。
孫大好きのオジサマには一緒にお風呂に入れるアヒルさんを買いました。
奥様大好きの建築家には二人で灯せる小さなろうそくを買いました。

あとは、博物館で買った街の古地図と、万年筆と、鉛筆削りと、絵のついたろうそく立と、強い香りの石鹸と、トラムの切符と、ユーロの小銭が残りました。

そんな小物達を見ながら、旅の余韻を楽しんでいます。

2008年04月14日

川棚のチューリップ

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下関市の市長さんがイスタンブール市を訪ねた時に、咲き誇るチューリップに感激しておねだりしたら、イスタンブールの市長さんたら、5万球のチューリップの球根をくれたんだって。

防疫的配慮から、周囲に電流を流した電線を張って、立ち入り禁止にして、川棚の田んぼの中に、市の公園課の職員とお百姓さんみんなで、5万球のチューリップを植えたんだって。

それはそれは見事なチューリップ畑でした。

でもそれも今日まで。
14日には球根を育てるために、花を全部切り取るんだって。
増えた球根を来年は下関市の別の公園で、見事に咲かせて、市民に見てもらう計画です。

来年の春が楽しみです。

2008年04月09日

アルザスのまち

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ストラスブールの旧市街はライン川の中洲になっていて、1km四方の中にノートルダム大聖堂とオム・ド・フェール(トラム=路面電車の交差点)のふたつの焦点があります。

ストラスブール駅は中州の外にあります。
石造の古い駅舎の前をガラスで覆って,地下に引き込んだトラムと郊外電車を連結しています。

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トラムはストラスブール駅前だけ地下に潜りますが、あとは全て路面を走っています。

1.3ユーロ(208円)の切符で1時間以内ならどこまでも何度でも乗り放題です。
乗り場の小さな機械でチェックインして、チェックアウトはありません。

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路面電車は車高が低く、乗り場から全くバリアフリーで車内にアクセスできます。
車椅子も乳母車もドンドン乗車してきます。

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旧市街には車はほとんど走っていなくて、人がトラムを乗ったり下りたりしながら、どんどん歩いています。それと自転車レーンがしっかりあります。

こんなに乳母車を多く見かけた街はありません。
特に朝と夕方にストラスブールのあちらこちらでたくさんの乳母車を見かけました。
保育所に子どもを預けて働いているお父さんやお母さんたちの姿なのでしょう。
エコロジカルな交通体系の整備だけではなく、底辺からの社会福祉の充実を感じます。

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街のレストランにひとりで車椅子で訪れて、食事をしている人をよく見かけました。

2008年04月05日

長崎 大波止

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弁護士をしている友人と久しぶりの長崎。
懐かしい面々との再会とうまい食事と気持ちのよい酒。

翌日も快晴。
長崎県立美術館のある大波止公園も桜の花の見ごろ。

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繋いである船の乗組員が楽しそうに騒いでいる。
釣り上げた烏賊を、海面でばらしたらしい。
タモを担いであっちだこっちだと、逃げた烏賊を追いかけている。

そして、とうとう獲物を掬いあげた!満面の笑み。

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公園には懐かしい「長崎アイス」。
ミルク味のするシャーベットをもなかのコーンに掬ってもらえる。
「氷菓」って書いてある。
100円。

子供の頃に、よく原爆公園や平和公園で食べた。
ほんとに美味しかった。
もし、長崎でおばちゃんが引いてる、コーンをたくさん積んだ
2輪車を見かけたら、食べてみてください。

2008年03月27日

グサッ グサッ

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ナンシーの国鉄駅からスタニスラス広場に行く道すがら、雑貨屋で見かけたナイフホルダー。

お台所にもブラックユーモア?

心ない人の言葉に刺されて傷つく君と僕?

2008年03月25日

かぜ

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KYでも、AKYでも、空気は読めなくても、風の読める人でありたい。


船の切っ先に立ち、強い風を受けながら、人々の進路を指し示す勝利の女神ニケ。

その前で呆然と立ち尽くすほど、繊細で圧倒的な2000年前の彫刻でした。

ひかり

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直径30mはある半月形のシャフトに、トップライトからの光が溢れてこぼれ落ち、
 
無数のシャフト内のステンレスパイプが、こぼれて溢れる光を整流している。

ルイ・ヴィトン シャンゼリゼ本店。

2008年03月22日

sos-kinderdoerfer

「ローザや他の子供達があなたの助けを求めています。」

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パリ~フランクフルト間のTGVの車内誌の1ページが目にとまりました。

SOSキンダードルフ=「子どもの村」のメッセージです。

こちらでは「子どもの村」活動が社会的広がりを持って定着し認知されていること。

そんなことを驚きとともに感じました。

斉藤正平君や舞さんたちも頑張っている「子どもの村」の活動が日本においても1日も早く成功しますように。

そして、新幹線やJALの機内誌でメッセージ広告を目にする日が早く来ますように。

時速300kmでフランスの田園風景を貫いて走るTGVの中で、そっと祈りました。

2007年09月06日

小浜温泉 伊勢屋

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すてきなおじさまと

二人きりで

長崎島原の小浜温泉に

長崎出身建築家お薦めの

伊勢屋旅館に一泊しました。

長崎半島に沈む夕陽です。

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建築関連法規の改正で建築確認業務は大混乱中。

6月20日施行以降、建築確認が下りた実績はゼロ?

福岡県の出生率は増えたというのに

建築に着工できない日本は国民総生産に影響必至。

アネハ以降、建築業界は不信とクレームの渦!

設計責任、施工責任、発注責任、説明責任、瑕疵担保責任・・・・

どんなに書類審査を厳しくしても、実際施工されている建物の質は?

役所が威張っていた時代に逆戻りするのは嫌だ!

実質的に建築の品質を守るのは

建築に携わる私たち自身だということ。

オジサマ二人で、不粋に、遅くまで語り明かしたことでした。

2007年08月17日

母の里

母は隣村の榎津の出身でした。
私が小さな頃は大きな船が着き、旅館や店や学校があって、賑やかな場所でした。
ここの中学校で父が、小学校で母が教師をしていました。
村長はここの保育園を中退しました。「山学校」が中退の原因だったそうです。

向こうに見えているのが「魚目」の湾です。湾の奥に父の集落があり、高校があります。
「魚目」とは無数の魚が入り込んで、海面が魚の目でキラキラと輝いている豊漁の入り江を意味しています。
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母の親族はもうこの村には残っていません。
囲炉裏端で小さな私を抱いて座っている祖父の面影を覚えています。

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母の部屋はいつもきれいに片付いて、いろんな想い出のものが飾ってありました。

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なんでも父が最初に始めるのですが、いつの間にか母のほうが上達していました。
ゴウヤをつくったり、鵜骨鶏を飼ったり、蘭を育てたり・・・

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母は花つくりの天才でした。

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墓参り

墓は必ず入り江を見下ろす高台に在ります。

集落から墓までの坂道を毎日犬と往復するのが父の運動です。

最近墓の上に林道ができて(離島振興法によるのか緑資源機構によるのかわからんが要らんもの。)墓の上まで車で行って、ズルして近道ができるようになりました。
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五島では13,14,15の3日間続けて墓に提灯をともします。

花火を打ち上げて遊ぶ子供たちの数も年々減ってきています。

下の波止場には3年前までは父のボートが繋いでありました。
父(真一)と母(喜代子)の名前を取って、「まき号」と名づけていました。

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顔見知りの人たちが線香を持ってアチコチの墓を参ります。

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家の座敷の軒先には迎え灯篭がつるされています。

集落の多くの家では座敷が通りに直接面していて、仏壇の前に並べられた提灯が通りを照らしています。
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私の故郷は百程もある五島列島の島々の中で最も大きな島です。
でも福江島と違って平地はほとんどありません。
急な岩山がストンと海に落ち込んでいて、人々は山と海の堺のわずかな土地か、あるいは山肌を開いて暮らしています。
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私が生まれた頃に初めて島にバスが通ったと聞いています。
それまでは大量な交通手段は船と馬車でした。
みんなが「馬車屋」と今でも呼ぶ親戚の家があります。

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船が着ける入り江にはそれぞれの集落がそれぞれの姿をして、背の低い照葉樹の森と共生しています。

大きな入り江は太古の時代から開かれていて、中国へ渡る勇気ある人々の発進の地であり、苦労の末に喜びとともに帰着する地でした。

中国側に面した青方の港は私が子供の頃は大きな遠洋漁業の基地で、大漁旗に彩られた無数の漁船で賑わっていました。

佐世保に面した有川の港は、鯨取の技術者集団による大きな根拠地でした。南氷洋まで鯨を取りに出かけた船の乗組員の多くが有川の漁師だったそうです。

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後からこの地に渡ってきたキリシタンの集落は概して波止場から奥まった山の手に開かれています。

2007年08月16日

里帰り

今年の盆休みは一人で佐世保からフェリーに乗りました。

佐世保港の新しいフェリーターミナルは、著名な建築家北川原温さんの設計による建築です。建築設計競技(デザインコンペ)で提出された案がストレートに実現されています。

北川原さん設計になる「銀色の倉庫」が長崎市大波止の港にあります。高松伸設計の(とても利用しにくい)「巨大係留ビットフェリーターミナル」やマイケルロトンディ設計の「オレンジ玉の倉庫」と並んでにぎやかな港の景観ですが、その中で「銀色の倉庫」はなかなかシブイです。

ちなみに北川原さんデザインは福岡市の薬院にもあります。当初不動産会社本社屋、その後コンヴァージョンしてホテル、現在はさらに変身して老人介護の会社になっています。

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佐世保新港ターミナルは付属駐車場の屋根が緑化されて芝張りになっていて、地面からスロープで上がれるようになっています。
そのガラス手摺です。

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佐世保から故郷の島まではフェリーで3時間ほどの行程です。

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2007年04月10日

九重の野焼き

温泉はしごの後にやまなみハイウェイの長者原まで行ってみることにしました。
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消防車の赤色灯がクルクルしていたり、人だかりがして煙がたなびいていました。
長者原の自然観察道の草原を野焼きしている現場に通りかかったのです。
野焼きを目の当たりにするのは初めてでした。最初は横に長く火が走っていて、風向きを計算しながら焼いてゆくのがわかりました。
しばらくして火の帯はまあるく大きな円を描くようになって、大きな円ができると横に流れていた煙がスーッと上に上がり始め、またたく間に火は大きくなって黒い煙が音とともにまっすぐ立ち上がリました。
数百メートルは離れているのに熱気が押し寄せてきました。そしてあっという間に火は収まり、後には黒い草原が残りました。

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これは長者原から少し離れた斜面の野焼き直後の様子です。黒々とした岩が真っ黒に炭化した草原の中に憮然としていました。
九重や阿蘇の雄大な草原の風景が自然景観ではなくて、放牧をする日々の営みによって維持されていることは知識として知っていました。でもあたり一面真っ黒の丘の風景は圧倒的でした。
この野焼きによって、草原がブッシュ化することが妨げられ、毎年新しい草の芽をはぐくみ、牛たちの放牧が可能になるのです。
黒く炭化した斜面から、すぐに青い草の芽が吹き出すのでしょう。

黒い斜面を歩くとジャリッジャリッと音がして草の炭が壊れました。

2007年03月09日

長崎ランタンフェスティバル

長崎のまちが中国に染まって、赤く輝いていました。
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竹馬の友、重野君の案内で初めてのランタンフェスティバル。
中華街「新地」から始まったお祭りは年々盛大になって、長崎の唐人町「館内」から、寺町、浜の町アーケード、眼鏡橋の架かる中島川周辺までランタンと光のオブジェで埋め尽くされて、町中が燃え上がっているかのよう。
異郷の地に来たような、タイムスリップしたような、独特の感覚は歴史都市長崎ならではのもの。
原子爆弾によって無惨に初期化された浦上地区と違って、長崎の旧市街地は昔ながらの街の構造が残っています。諏訪神社、今博多町、馬町、八百屋町、麹屋町、寺町、崇福寺、興福寺、鍛冶屋町、賑町、銅座町、築町、新地町、籠町、舟大工町、館内町、丸山町、出島町・・・・深い入り江の貿易港を望む中島川沿いの谷あいの旧市街には400年の歴史が積層していました。
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長崎はこの100年ばかりの間に、出島に象徴される西欧文化が喧伝されてきましたが、実質には中国アジアに向けた拠点機能が人的にも経済的にも圧倒的だったことを思います。このフェスティバルの盛大さは長崎市民になった華僑の力があればこそなのでしょう。
中国の留学生や日本の若者たちが大きな声を張り上げ、館内町の赤く輝くランタンの下、アジア的屋台には若いカップルが溢れていました。

欧から亜へ。
このようなところにも、時代の潮目が見えているのかもしれません。