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2007年08月17日

私の故郷は百程もある五島列島の島々の中で最も大きな島です。
でも福江島と違って平地はほとんどありません。
急な岩山がストンと海に落ち込んでいて、人々は山と海の堺のわずかな土地か、あるいは山肌を開いて暮らしています。
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私が生まれた頃に初めて島にバスが通ったと聞いています。
それまでは大量な交通手段は船と馬車でした。
みんなが「馬車屋」と今でも呼ぶ親戚の家があります。

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船が着ける入り江にはそれぞれの集落がそれぞれの姿をして、背の低い照葉樹の森と共生しています。

大きな入り江は太古の時代から開かれていて、中国へ渡る勇気ある人々の発進の地であり、苦労の末に喜びとともに帰着する地でした。

中国側に面した青方の港は私が子供の頃は大きな遠洋漁業の基地で、大漁旗に彩られた無数の漁船で賑わっていました。

佐世保に面した有川の港は、鯨取の技術者集団による大きな根拠地でした。南氷洋まで鯨を取りに出かけた船の乗組員の多くが有川の漁師だったそうです。

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後からこの地に渡ってきたキリシタンの集落は概して波止場から奥まった山の手に開かれています。

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